伝承

大火勢
大火勢イメージ

父子に今も残る勇壮な火祭りの大火勢(おおがせ)は300年以上の歴史があるといわれ、愛宕信仰に基づく火災鎮護とお盆の迎え火、送り火と結びついた民俗行事として毎年8月14日、15日の2日間行われます。
初日(14日)は祖先の精霊を迎える「迎え火」、2日目(15日)を祖先の精霊を帰す「送り火」とされます。

高張提灯を先頭に、大太鼓と鉦を打ち鳴らしながら区内をまわり、火勢山(稲山)のふもとに位置する地蔵堂で火が焚かれると、青年團を中心とした男衆が火勢山へ登り、高さ約10メートルの御神体と呼ばれる真木に、ワラ、麻ガラ等を先に結んだ横木(5〜7段)と弓状の瓢箪竹が結束された木の葉型の大火勢(※右図)に火を点け、山の頂にある平地で上げます。

大火勢があがると男衆たちは伊勢音頭を歌い、途中何度も倒しては起こし、振ったり廻したりが繰り返されます。
2日目(15日)の送り火の松明が燃え尽きた後は、御神体を山から下ろし、若衆たちにより区内道中を担いで海元寺まで運び、境内に奉納されます。

100年以上前は、上条地区と下条地区とに分かれて大火勢が行われていました。
上条は山の神から四十九塚までを、下条は札場から地蔵堂までを、太鼓、鉦を打ち鳴らしながら松明に火を点けて運び、四十九塚と地蔵堂で競うようにしてそれぞれ大火勢があげられていました。
また、上条と下条が四十九塚で合流したり、薬師堂から地蔵堂まで大火勢を運んだ時代もあったと伝えられています。

その他にも、愛宕祭にあたる7月24日、8月24日と不動祭にあたる7月28日、8月28日には大火勢の原型といわれる子供達による火勢が四十九塚で上げられます。

狐がえし(狐がえり)

1月14日の夜に、青年團を中心とした男衆が團長宅で初寄合を行い会食をし、翌日早朝(4時頃)、薬師堂の前と札場にてワラ束を焚きます。
狐を父子から追い出す為の行事と言われ、以前は「狐がえりの唄」を大声で歌いながら、区内を薬師堂から地蔵堂まで下りました。

またこの日は「コトの日」とも言われ、新たな青年團員の入團の日でもあります。
近年では、成人の日の改定に伴い、1月の第2土曜〜日曜にかけて行われています。


= 狐がえりの唄 =
  「狐がえりがえりよ わら何するど 若宮をまつるとて 狐がえりがえりするぞ
                        狐のすしは七桶なから 八桶にたらぬとて 狐がえりがえりよ」


参考文献「若狭父子の民俗」

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